東京高等裁判所 昭和49年(ネ)356号 判決 1975年8月21日
控訴人
兪在根
右訴訟代理人
野崎研二
被控訴人
池谷浩明
右訴訟代理人
玉田郁生
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一本件建物部分につき、昭和四四年一二月一三日、被控訴人の主張する内容の賃貸借契約(ただし、特約の点を除く。)が、被控訴人を貸主として締結されたことについては、当事者間に争いがない。
被控訴人は、右契約における借主は控訴人であると主張するのに対し、控訴人はこれを否認し、当時設立中であつた訴外株式会社三経商事が賃借したものである旨主張するので、先ずこの点について判断する。
<証拠>を総合すると、控訴人は日本名を「高田靖浩」または「木山靖浩」と称する中国人で、現在では東京都内に三の店舗を設け、バー、クラブ、キャバレー等の飲食業を経営していること、もつとも、形式上は六社の法人が右各店舗の経営主体となつているが、右各社は「三経グループ」と総称され、いずれも控訴人の実質的支配下にあり、控訴人の営業を地域的に分割してそれぞれ独立の法人組織とした実情にあること、本件賃貸借契約は右キャバレー等の従業員宿舎として使用する目的で締結されたものであつて、その契約書(甲第一号証)には借主として「三経商事KK社長高田靖治」と記載されているが、「三経商事株式会社」なる会社は存在しないこと、控訴人は「株式会社三経商事」が右会社に該るというが、同社も前記「三経グループ」の一員であり、同社が設立登記されたのは、本件賃貸借契約の締結後である昭和四五年一月一七日であること、右契約締結にあたつては、控訴人側の右経営の実態や会社の設立状況等は何ら明らかにされないまま、前記契約書上の表示がなされたものであることが認められる。そして、右認定の事実関係のもとにおいては、被控訴人が、控訴人の支配下にある営業の特定地域における形式的経営主体にすぎず、しかもいまだ設立中の段階にある「株式会社三経商事」を代表する控訴人との間で、従業員宿舎の賃貸借契約を締結したものと解するのは、それが発起人の権限には本来属しない開業準備行為であることも考慮すると、被控訴人の意思に著しく反すること明らかであつて相当ではなく、被控訴人は、「三経グループ」の営業の実質的支配者でおる控訴人を賃借人として、同人との間で右賃貸借契約を締結したものと解するのが、信義則上相当であつて、その後賃料の支払が三経グループに属する種々の会社名義の小切手で支払われていた事実が前掲各証によつて認められることとも照応するところというべきである。成立に争いのない甲二、第三号証の各一の名宛人の記載は、その後も前記経営の実態が明らかにされないまま推移したことを示すのみで、右認定判断と必らずしも抵触するものではなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
そして、<証拠>によると、右賃貸借契約においては、被控訴人主張のとおり、本件建物部分に居住せしめるべき者を萱妙子、斎藤春江、吉田文子の三名に限定し、右居住者の変更については事前に被控訴人の承認を得べきこと、及び、居住者が危険もしくは近隣の迷惑となる行為をした場合には、被控訴人は催告をすることなく契約を解除しうることが特約されていたことを認めることができる。控訴人は、本件建物部分の賃借目的からみて、入居者の限定に関する右特約は例文的な意味しか有しないと主張するが、前顕各証拠によれば、被控訴人としては、共同住宅(マンション)の一区画である本件建物部分を、控訴人ないしその家族の居住の用に供するのではなく、控訴人も自認するように頻繁な転出入等が予測されるキャバレー等の従業員宿舎として使用するということであつたからこそ、無秩序な使用状況となることを避けるため、居住者の人数を限定し、その氏名等を正確に把握しておくことが必要であると考えて右特約条項を定め、これを契約書に明記し、控訴人もその趣旨を諒承してこれに応じたものであることが認められ、かかる特約をすることには共同住宅の管理上合理的理由があるものというべく、これを例文としてその法律的効力を否定する控訴人の右主張は、採用のかぎりではない。
二<証拠>によると、控訴人は、本件建物部分の賃借後、前項で認定した特約があるにもかかわらず、居住者をしばしば変更し、その人数を四名以上にしたり、男性を居住させたりしたが、それについて被控訴人に事前の承認を求めたことはなく、事後の通知すらせず、居住者の名簿を作成するようにとの被控訴人からの要請にも応じなかつたため、被控訴人側では居住者の氏名、人数を把握することができず、加えて、右居住者の中には、物干場から衣類を盗んだり、マンションの出入口付近で放尿したり、更に深夜の喧噪な行動、屋上でのシンナー遊び、空びん、空かん、生ごみの不始末等、共同住宅の他の居住者に迷惑の及ぶことを全く意に介さない所業に出る者も多く、管理人からの制止も聞き入れられず、管理に著しく手を焼く状態となつていることが認められる。
右に認定した控訴人の所為は、本件賃貸借における入居者の限定に関する前記の特約に違反するばかりでなく、共同住宅の居住者として当然慎しむべき近隣の迷惑となる行為をして憚らない本件建物部分の居住者の態度と相俟つて、被控訴人側の管理の手に負えない無秩序な事態を招いているものというを妨げないから、結局、控訴人には、被控訴人との間の信頼関係を破壊する不信行為があり、被控訴人が特約によりただちに賃貸借を解除しうべき事由となるものというべきである。
そして、被控訴人が控訴人に対し昭和四七年一月五日到達の内容証明郵便により、右認定の事由その他の契約違反を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことについては、当事者間に争いがない。もつとも、控訴人は当審において、甲第二号証の一による右解除の意思表示が三経商事株式会社代表取締役宛となつている点に言及しているが、前項一で認定判示したとおり、右記載にもかかわらず本件賃貸借における借主は控訴人と認めるべきものであるから、右意思表示が控訴人に到達したこと自体には争いがない以上、右書面上の表示はこれをもつて控訴人に対する解除の意思表示と解するうえでの妨げとはならない。
また、控訴人は右解除権の行使をもつて権利の濫用であると主張するが、控訴人には、さきに認定したような特約違反その他の不信行為があり、被控訴人がこれを黙許したことを認めるに足りる証拠は存しないから、前顕甲第二号証の一により、被控訴人が賃料増額をめぐる話合いがつかなかつたのを機に契約解除の挙に出たことが認められるにしても、これをもつて権利の濫用ということはできない。
してみると、本件賃貸借契約は、前記意思表示の到達した昭和四七年一月五日限り解除されたものというべきである。<以下、省略>
(室伏壮一郎 横山長 深田源次)